進撃の巨人という作品はどういった作品なのか、一言で言えばキサクです。
- 鬼作
- 稀作
- 奇作
まさにまれであり、今後これほどに人間の心に残る作品はないと思っています。そういった作品ですから、楽しむことが出来ると思います。
大人になったら、作品を見ないようになる人もいるかと思います。また、作品を見るようになっても一度、見終わったら繰り返してみるような作品は少なくなってくると思います。
しかし、この進撃の巨人という作品は他にもないぐらいに繰り返し読みたくなる作品です。一度読んだだけでは、作品の全容を理解できません。
また、考察サイトを読んでも、実際の絵や話の展開を理解しなければ、要領を得ないのです。
そう考えれば、
実に難しい作品である。
と感じるかもしれません。
それは間違いなくそうです。しかし、難しい作品でありながら、面白い作品なのです。その二足背反の部分が進撃の巨人のすごさです。
今回は、進撃の巨人の面白さや名シーン、見どころを映像好きの人間が書いていきたいと思います。
進撃の巨人の見どころ
進撃の巨人の見どころは、話のつなぎ方にあるだろうと思います。
進撃の巨人は普通の漫画とは違った形で話がつながっていきます。伏線の回収もそうですが、巨人というファンタジーテイストの話から、人間の戦争へとシフトしたとき。
ふと現実的な他人事ではないような話に感じてしまいます。まるで、自分たちのことを言われているような感覚に陥り、なんとなく人類というものの愚かさを感じることが出来るのです。
ただ、進撃の巨人の素晴らしいところは、人間は悪だったと一方的に訴えかけるのではなく、そこにささやかな人間の性善性を感じさせるところにあると思います。
確かに人間は醜い生物ですが、少なくとも同胞のためには拳振り上げることが出来るし、言い分を理解できるところもあるのです。
圧倒的な悪が支配する作品も面白いですが、善悪の判断基準の違いで争いが起こる作品もまた名作が多いです。
進撃の巨人は、「仕方がない悪」の描き方が実に秀逸で、一つの哲学書を読んでいる感覚に陥ります。
作者の諌山先生はこれを感覚的に描き切ったと語っていますが、もしそうだとするのであれば、諌山先生の人生経験からこの物語は出来上がっているのだと言えます。
デビュー作がこれだったと考えるのならば、すごい洞察力だと感服します。
進撃の巨人の話が面白いのは、恐怖の種類が豊富だからだ。
人間は怖いものが好きだと思います。
お化けも好きだし、戦争自体は嫌いでも、戦争でどういった被害がもたらされたのか、興味を持ってしまう人は多くいます。また、他人がした間違いも怖さとは違いますが何かしら知ろうとしてしまいます。
それは、ゴシップなんかでも分かるかと思います。
進撃の巨人を見返してみると、どうにもこの作品を支えている柱の一つは人間の本能的な恐怖をくすぐる部分にあるのではないかと思っています。
シーズン1.捕食される恐怖
人間が根源的に持っている恐怖とは、捕食されることではないでしょうか。
今のになれば、人間は捕食されることは無くなったと言えます。あったとしてもそれは、特別なケースに限ります。
しかしながら、2013年に放送されたシーズン1の世界では捕食されるという行為が随所で描かれており、もはや「当たり前」ともいえます。
自分よりもはるかに強力な天敵の恐ろしさが如実に描かれているのです。
しかもそれは、自分たちと似たような姿かたちをしている生物であり、正体も分からないわけです。
こういった恐怖を自然に生きる動物は日々、感じているわけですね。ブタからすれば人間という生物を理解する術はないわけです。
また、サバンナなんかでもシマウマはライオンという動物を本能的には理解していても、知識として理解することはないでしょう。
そういった生物が共通で持っている
「よくわからない奴に命を脅かされる」
という本能的恐怖を上手く煽っているのが、この作品の人気に火をつける一要因ではないかと思っています。
シーズン2.裏切られる恐怖(嘘、偽り)
進撃の巨人を象徴するものと言えば、裏切りではないでしょうか。
そして、僕たち人類を恐怖に陥れてきた物もやはり裏切りではないかと思っています。
歴史の話をすれば、イギリスなんかは世界中を裏切ってきましたし、日本の歴史においても裏切りによって栄華から引きずり降ろされた人物もいます。
裏切りこそが、人間が持っている最大の罪であり、多く人間が恐れていることではないかと思います。
進撃の巨人においては作中でも有数の名シーンである裏切りがあり、多くの読者の度肝を抜きました。
しかもその裏切りが日常の何気ない会話の中で明らかになるところが、またリアリティのある話ではないかと思います。
人が人を裏切る時は、そこまで大きな予兆はなく突如として裏切られるものなのです。
また、偽りというのであれば、超名シーン以外にも作中にいくつもの偽りが潜んでいます。
そう考えれば、この作品はいい意味で「嘘で塗り固められた作品」なのかもしれません。まさしく、奇作です。
シーズン3.死の恐怖
シーズン3では、死の恐怖が描かれていると感じます。
現在はそういった場面に立ち会うことはないですが、歴史の流れや場面においては人間は自分の命すら投げ打って、戦わなければならないときがあります。
物資に恵まれたなかった日本はまさしくそういった戦い方を強いられた民族なので、シーズン3は何かと胸を打つシーンが多いかと思います。
普通の巨人相手にならまだ勝てる算段はあるかもしれません。
が、相手は何も考えずに自分を殺そうとするのではなく、洗練された戦い方で効率的かつ確実に自分たちを追い詰めてくる。
そういった相手に向かって、あえて死にに行く作戦を取る必要がありました。そこでは、「確実な死」の恐怖が如実に描かれていると感じます。
それを受け入れて突撃しているキャラクターを見ると、我々日本人にもそういった過去があることを踏まえて、何処か他人事ではない気持ちにさせられるのです。
「もし自分が、その戦場にいたとしたらどうなるのだろう。」
嫌でもそういった、気持ちにさせられて、そういった気持ちにさせられるということは進撃の巨人という作品に、心を掴まれている証拠なんだな。
と実感できるわけです。
シーズン4.人間の恐怖
ファイナルシーズンは人間の恐怖が描かれていると感じます。
結局のところ、悪なんてなくて、だからこそお互いで殺し合わなくてはならなくなる。ということになります。
これは、他人事でもない話であり、僕たちの歴史を見ても同じようなことをやっていると言えます。
現実には巨人という武器はありませんが、何の武器を持たず戦争をしたことがない国からすれば、マスケット銃を装備した兵士や鎧を着ている兵隊は巨人に見えるだろうと思います。
そして言葉も通じず、肌の色が違う人間に一方的に支配される。
それ自体は現代の常識からすると「圧倒的な悪」です。
しかし、当時の人たちからすれば
「これは神の使命だ」
など、これといった悪意はなく「そう言うもの」、むしろ当然のこと、として片づけられてきたわけです。
しかし時間が経ってくると、その行いに異議を唱えるものが現れてきます。その中で正義を唱える指導者が出てきて報復が行われます。
歴史を振り返ってみると、「革命」というものがありますが、これはつまるところやり返しではないかと思います。
そこでは、必ず多くの血が流れるわけであり、無関係の人間も多数犠牲になるでしょう。
で、進撃の巨人においてもそういった革命が描かれており、パラディ島がマーレにした仕打ちも革命ですし、エレンが始祖の力を使い行おうとしていることも、恐らくは革命になるのだと思います。
根っこにある理屈は正しいですが、その理屈を通そうとするのであれば、多くの血が流れることになります。
まさしく、人間の戦争と同じでありこれもまた恐怖ではないかと思います。
少し大人になって、世界の歴史について学ぶことが出来ている人からすれば、作品が訴えてくる「人間の醜さ」というものになんとなく察することが出来る仕組みになっているのです。
それもまた、この作品のすごい所ではないでしょうか。疑似的に人類の歴史の復習が出来るわけです。
進撃の巨人の名シーン3選
進撃の巨人程、名シーンに恵まれている作品はないのではないかと思っています。その中で3選を選ぶなんて難しいです。
それでも、ダラダラと紹介しても仕方がないので僕が思った名シーンを3つ書いていきたいと思います。
巨人VS現代兵器
個人的に身応えのあったシーンはこれでした。
進撃の巨人と言えばストーリーも素晴らしいですが、戦闘シーンも素晴らしいです。(原作を見ている人はぜひアニメを見てほしいですね。)
ということで、ストーリーのすばらしさは散々語ったので戦闘シーンのすばらしさに語りたいです。
作中において圧倒的な戦闘力で描かれていた9つの巨人ですが、なんと現代的な兵器を相手をするには苦戦を強いられているのです。
例えば、圧倒的な硬さを誇る鎧の巨人も現代の徹甲弾を受ければ鎧を貫かれてしまいます。その中で、戦略を立てて戦わないといけない。
そういった、リアリティのあるシーンが
「なんか、いいな。」
とかんじますね。
リヴァイVS獣の巨人
個人的にお気に入りのシーンです。
獣の巨人は、長い腕から生み出される投擲によって文字通り「寄せ付けない強さ」を持っています。
砕いて礫状にした石を前方に投げるだけで、一師団ぐらいならば解明させることが出来ます。
圧倒的な戦力差に接近することすらままならない調査兵団ですが、エルヴィン団長の奇策によって多くの血を流しながらもリヴァイと獣の巨人の一騎打ちが描かれます。
人類最強が獣の巨人相手に一矢報いるシーンはいつ見ても鳥肌物で、何度も見返してしまいます。
この当時獣の巨人は「憎まれ役」として描かれていたので、なおさら痛快に感じました。
パラディ島の悪魔VSマーレ
パラディ島がマーレに報復していったシーンもすごく良かったですね。
物資で劣るパラディ島勢力からすれば圧倒的に不利な状況だったわけですが、立体的な建物があったおかげで立体起動の威力をこれ以上なく引き出せる状況でした。
それに加えて、104期生の活躍もあり敵の主力を徹底的にたたくことに成功しています。
結果として、戦槌の巨人を初めとする多くの巨人を打ち取り、大戦果を挙げることになります。
このシーンで印象的だったことは2つあり、一つはパラディ島の武器がマーレに通用したことです。ポルコが
「人間の姿のままで巨人を倒すつもりか?」
と、驚いていたシーンはなんとなく胸が熱くなりました。
2つ目にエレンが巨人の力を使いこなし、戦いにおいて機転を利かせることが出来るようになっていたところですね。
戦槌の巨人を相手にしていた時なんかはそれが如実に描かれているシーンではなかったかと思います。
身動きの取れないポルコが利用され、戦槌が砕かれるシーンはちょっとショッキングでしたがそれを含めて印象に残っています。
進撃の巨人の名言3選
せっかくなので、名言についても書いていきたいと思います。
良い作品にはいい言葉があるものです。進撃の巨人も例に漏れず、良い言葉があります。
作者の諌山先生は閉鎖感が強かった田舎を飛び出して、自分の腕でのし上がってきた人間です。
あくまで憶測でしかないですが、そういった背景は作品に投影されているような気がします。くわえて、そういった人から生まれてくる言葉は、やはり覚悟や説得力というものを感じるのは僕だけでしょうか。
アルミン:100年壁が壊されなかったからといって 今日壊されない保証なんてどこにもないのに…
すごく印象に残っている言葉ですね。これは現実においても同じことが言えます。私生活や仕事なんかでも、結局のところ真の安定なんて物はなく、常に準備をしておくことが大事です。
特に日本という国は、地震という悪魔の災害がランダムにおきます。
あらゆるものにおいて、備えあって憂いなし。戦う準備はしておいた方が良いですね。
アルミン:何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人は、きっと…大事なものを捨てることができる人だ
これも、すごくいい言葉です。アルミンは作中でも博識なイメージがありますが、理系というよりも文系に秀でる人間だと感じます。
この言葉ですが、まさしくその通りです。基本的に何かを手に入れようと思えば、何かしらを捨てないと手に入れることは難しかったりします。
(中にはすべて手に入れる人もいますが、例外だと考えましょう。)
イチローなんかは、非常に学業にも優れた人間だったらしいですが、高校時代は野球に専念するために授業中は睡眠時間に使っていたらしいですね。
進撃の巨人の世界に比べると「捨てる」の規模が小さい気がしますが、それでも現実の高校生が学業をかなぐり捨てると考えれば、やはり相当なものだと感じます。
現にイチローはアルミンの言うところの「何か」を変えた人間ではないかと思います。
エレン:どれだけ世界が残酷でも関係ない!戦え!戦え!戦え!
これもすごくいい言葉だと思います。
結局のところ、戦わないことには何も始まらないし、むしろ戦わないからこそ奪われているともいえます。
「現代はそんなに物騒な時代じゃないでしょ。」
と考える人もいるかもしれません。
それでも、現代だって戦わないことには手に入らないものがたくさんあります。スポーツだってポジションを獲得するには日々戦わないといけません。
大学受験だって、他のやつよりも1秒でも多く勉強した奴が勝ち残るはずです。また、仕事でも日々何かしらに挑戦している人がより良いポストを手にするはずです。
世の中の本質は奪い合い、ということを考えるのならば時としては、戦いに身を投じる必要があるわけで。
自分よりも圧倒的に大きな敵に対して、戦い続けたエレンの叫びにはなんというか説得力があります。
進撃の巨人は今後語られる名作になるのか。
という感じで、進撃の巨人について語りましたが、好きな作品なのですらすらと文章を書くことが出来ました。
一ファンとして、進撃の巨人は今後語られる名作になるのかについて話せば、恐らくなると思っています。
やはりここまで、新しい切り口で伏線も適度に回収して話をまとめたのはすごいです。常に読者の予想を裏切り続けたのは、すごいの一言でしょう。
現在はネタバレサイトも多く出回っていますが、ネタバレしても作品が持っている迫力は健在であり、ただの話が面白いマンガでは終わらないような気がしています。
海外での人気もある作品であり、今後も伝説として語り継がれるのではないでしょうか。
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