ハンターハンターにおいて
個の極地
とされているのが、アイザック・ネテロです。
最強の念能力である百式観音は「不可避の速攻」といっても良く、作中で最も完成された技ではないかと思われます。
最強の攻撃が最速で飛んでくる
、と考えればどれだけ驚異的な技なのかなんとなくは理解できると思います。
敵であるメルエムも技の練度に驚愕し、その一連の動作の美しさに感動すら覚えるのでした。
誉めて遣わす
と評価するほどですから、その完成度が理解できるかと思います。
ネテロというハンター
ネテロというハンターは実のところ遅咲きのハンターであり、才能が開花したのは全盛期を過ぎてからでした。
限界を悟ったとき、己の全てをなげうって修行をします。
ネテロがした修行はいたってシンプルで
正拳を1万回繰り返す
というもの。
これは、武道への感謝を己の体一つで体現する、という名目で行われました。
ただ正拳するだけではなく、そこには祈りの所作が組み込まれています。
心の底から祈り、そこから全身全霊でこぶしを突きだす。
そういったことから
感謝の正拳突き
と呼ばれています。
ネテロの拳は音を置き去りにした
これを延々と繰り返したことで、ネテロには再び全盛期が訪れます。
作中においては、
「羽化する」
と評されていますが、たゆまぬ鍛錬によって極められた拳は
音を置き去りにした
と表現されており、その一連の動作は神々しさすら感じ、とある武道家は
観音様が・・・
とし、弟子入りを志願するほどでした。
ネテロというキャラクターは設定を矛盾したキャラクターである。
ネテロは設定を無視したキャラクターです。
というのは、百式観音の能力があまりにもオーバースペックしているからです。
観音を操るのは操作系ですし、観音の姿を発現させるには具現化が必要です。
そして、圧倒的な威力を誇る「零の手」は放出系能力者でないとあれだけのクオリティは発揮できないでしょう。
しかし、ネテロの念系統は強化系であり、普通に考えてそれらを扱いきることは不可能です。
このことを「メモリ大好き人間」ことヒソカに聴かせたら
嘘だろ・・・♠
と、股間を膨らませながら、びっくりすると思います。
ハンターハンターを語る上で欠かせないメモリという要素。
ハンターハンターにはメモリ、という概念があります。
どれだけ優秀な使い手でも、系統を無視して色々な能力を身につけようとすれば器用貧乏になります。
その結果、技の精度が荒くなりそこをつけこまれて敗北したりします。
つまり、
一つの武器を徹底的に磨いた猛者の方が強い
これが、能力者における定説です。
しかし、ネテロの能力を見てみると、明らかにメモリを無視して好き放題しています。
クラピカのエンペラータイムのように、あらゆる系統を高いレベルで発現していることが分かるのです。
これにはヒソカも
おかしい・・・話が違うじゃないか♦
と真っ青です。
なぜ、ここまでの能力を引き出せているのか。
それが、感謝の正拳突きにあるのではないかと思います。
勝手な推測をします。
これは推測ですが、
若かりしネテロはカストロのように色々な念能力を身につけようとしたのではないかと思います。
強化系であるにも関わらず、無理やり観音を出現させ、さらにその観音を操り、あろうことかビームまで出せるようにした。
こうなっては、当然メモリ不足は免れないでしょう。カストロよりもひどい状態です。
恐らく、こうした能力を身に着けたネテロは失意を感じ、長い間、葛藤したことだと思います。
己の欲深さを嘆いたことでしょう。
作中でも
強化系は全ての攻撃が必殺技になる。
特別なことしなくてもいい
とされているように、強化系は変なことをしなくても強いのです。複雑な能力を身に着けることが悪手と言えます。
ネテロは強化系能力者としてあるまじき失態を犯したわけで、ゆえに己の限界を感じたのです。
いろいろ考えた結果、出てきたのが感謝の正拳突き
己の選択ミスで招いた限界。
そこで、行きついた答えが
正拳突き、一万回
これだったのではないでしょうか。
欲張って、多くの能力を手に入れようとした自分に当てつけるかのように、シンプルに同じことを繰り返す。
感謝の正拳突きとありますが、これは自分がやった行動に対する償い的な部分もあったのではないかと、個人的には考えています。
正拳突きを課すことによって、制約と誓約が発動する
ネテロは長い年月の間、正拳突きを繰り返しました。メルエムが語るに
狂気的なほど、一つのことに没頭して手に入れた力
とされます。
ネテロはここで
制約と誓約
これが発動したのではないかと思っています。
制約と誓約
ハンターハンターにおいて、強力な能力を手っ取り早く手に入れるには、自身の能力に制限をかけることが必須になります。
制限が重ければ、重いほどに技の威力が上がります。作中における代表例は
エンペラータイムでしょう。
1秒使うごとに1時間寿命が削れるというリスキーな能力です。
制約と誓約はその対価を設定できますが、それが、命を代償するのであれば、圧倒的な使い手でも倒すことが出来ます。
では、仮にネテロが制約と誓約を発動させたとするのであれば、何を代価にしたのか。それは
時間
ではないかと思われます。
人生において、最も価値があるものが時間である。
というのは間違いのないことです。
ネテロはこのかけがえのない時間をただ拳を突き出すことに費やしたわけです。
これは普通に人生を送ろうとしている人からすれば、とてつもない制約であると言えるし、第一に思いついてもやろうとしません。
修行をするにしても、もっと実用的なものを選ぶでしょう。正拳を繰り返し続けるなんて並みの人間がすれば、狂ってしまいます。
正拳突き1万回をしたところで、何も得ることはなく、途中で断念することが殆どだと思われます。
しかし、ネテロはそれを敢行したわけです。
最終的には一連の所作が完成され、正拳突き一万回が1時間を切るようになります。
その結果祈る時間も増えていき、肉体だけでなく精神までもがより洗練されていきます。
そして、多くの時間を費やしたことがトリガーとなり、山から下りて来たとき能力が開花したのではないでしょうか。
ネテロは人生の多くの時間を武道に捧げることで、図らずとも対価を支払ったのです。
その結果、ネテロの観音は比較にならない力を得た。
と、ブログ主は考えています。
くわえて考えられること。
百式観音の発動条件には
祈りの所作
というものがあります。
これは
戦闘においては命取りとなる隙
と、評されていますがこれも、制約と誓約ではないかと思われます。
つまりネテロは
- 感謝の正拳突き
- 祈りの所作
この2つの制約と誓約を重ねてみることで、自身の能力を盛りまくっているのではないでしょうか。
全てが中途半端だった観音は完璧になって仕上がった
結果
「不可避の速攻」、
とまで呼ばれるまでに成長し、解き放たれる光弾は計り知れない威力を持つようになった。
また、かつてとは比較にならない精度で観音を操れるようになり、繰り出せる型の数は日に日に増えていった。
そうして、「百式観音」が能力として成立したのではないでしょうか。
まとめ。
推測として、感謝の正拳突きをする前からネテロは観音を出現させることが出来た。と思っています。
しかし、系統が強化系だったために扱いきれなかった。
それでも、武道への感謝もあり、こぶしを突き出し続けた結果、制約と誓約が発動して全ての技の精度が上がった。
そして最終的には「個の極地」と言われるまで強力なハンターになったのではないかと、ブログ主は考えます。
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