主人公である炭治郎の兄弟子に当たる富岡義勇はなにかと魅力のあるキャラです。
現代風に言えば、「不思議ちゃん」に当たる人ですが、そのギャップに惚れる人も多くいるでしょう。
ブログ主も悲鳴嶼行冥の次に好きです。
ブログ主は、作品を何度も読み返すタイプですが、富岡義勇は
作品初期、割と厳しいことを言うけど良い奴
みたいな感じでした。
物語の冒頭で放った
生殺与奪の権利を他人に握らせるな
の一言、これは読者を「鬼滅の刃」に引き込む力がありました。
しかしながら、話が進んでいく内に、
実はこの人は面白い人なんじゃないか
と、読者に思わせる部分があったと思います。
踏まえて、最初に抱いたギャップ込みで好きになっていく人も多いのではないでしょうか。
今回は、そんな義勇さんのカッコよさに触れていきたいと思っています。
富岡義勇とは
水柱を務めています。
義勇の剣技は、敵からも称賛を受けるほどに極められており、独自の型を開発するほどです。
極められた剣技、拾壱の型「凪」は相手の攻撃の全てを無にする剣技であり、守りにおいて最強格の技です。
下弦程度の鬼であればほとんどの攻撃を無力化出来るほどですから、その力が伺えます。
鬼殺隊の中でも努力寄りの人
そんな技を習得するのだから、
義勇は天才である
と考える人も多いようです。
が、義勇は努力の鬼でした。
実は鬼狩りに入ったころはそこまで強くなかったのです。
最終選別においても、
友人がめちゃくちゃ強かったおかげで運良く生き残った
という描写がされており、義勇はそれに負い目を感じています。
加えてその友人が道半ばで息絶えたこと。
さらには自身の弱さ。
これらに対しての罪悪感を背負いながら戦い続けました。
その結果、月日が経って最高位である柱に上り詰めたのです。
冷静沈着な立ち振る舞いの水面下では、血のにじむような努力があったと言えるでしょう。
作中において、柱の出番は多いですが、本来、他の隊士に比べて数が少ないです。
それぐらい、選ばれた人材です。
そこに食い込むほどですから、やはり普通ではない剣士です。
義勇の強さの序列
鬼殺隊の中でも、バランスの取れた剣客です。
元来、水の呼吸は使いやすいということもあり、多くの戦局を打破する力があります。
その水の呼吸を高いレベルで身に着けた義勇は上弦の鬼相手でも、喰らいつくことが出来ます。
くわえて攻守ともに適応でき、凪があるために敵の決め技も防ぐことが出来ます。
強さの序列としては、最強格ではないが、行冥、不死川実弥の少し下ぐらいではないかと考えられます。
作中の描写を見ると
上弦の鬼と互角には戦えるが、とどめを刺す手段に乏しいように感じます。
凪で相手の技をいなすことが出来ても、無一郎や行冥、煉獄のような一撃で首を落とす剣技がない所、これが上位の柱と比べて物足りない部分ではないかと考えます。
富岡義勇のカッコよさ、人気の理由
これは読んでいて感じたことですが、富岡義勇のカッコよさは毒にも薬にもならないところだと思っています。
つまり、存在していてもそんなに気にならないということです。
たぶん分かると思いますが、人と付き合うのは疲れます。
明るい人と一緒にいると楽しいと感じることも多いですが、付き合いが長くなると、その明るさがめんどくさくなってくることもあります。
精神の起伏が激しい人というのは、楽しめる分、しんどいのです。会社や学校に行っている人でも嫌々付き合っている人もいると思います。
しかし、富岡義勇は何があっても、これといった反応は示さずにまるで植物です。
いてもいなくても、これといって何もないのです。
すなわち、一緒にいてストレスを感じません。
人付き合いに疲れている現代社会において、義勇のような人がいれば、それはそれで癒しになるのです。
現実にもそういった人が一人いると、グループの空気がなんとなく楽になる。
と言った経験はないでしょうか。
義勇はそういった置物的な魅力があり、毒にも薬にもならない人柄が人気の一つではないかと思っています。
しかも、無能ではない
くわえて、義勇はずば抜けて仕事が出来るのでそれもまたカッコいい所なのです。
余計なことはせずに、当たられた仕事を黙々とこなす。
そこには、責任感や自覚の強さなどが見て取れて、女性だけでなく男性にもカッコよく映るのではないでしょうか。
作中での活躍シーンもそれぞれ紹介していこうと思います。
対下弦の伍
那田蜘蛛山、炭治郎のピンチにさっそうと登場。
十二鬼月の累と戦いました。
ここは義勇の強さが際立ったシーンではないでしょうか。
累は下弦の伍で、十二鬼月の中でも弱いとされますが、その実力は下弦の壱、弐クラスまで高められていたと言われています。
(鬼としての序列に興味がないらしい)
実際に累の首を落とすのは至難の業で元来が堅い皮膚であるのに加えて、判断力も高く自身の蜘蛛糸を使い自らの首を落とし、死を免れる。
という、離れ業もやってのけます。
糸を使った攻撃は非常に多彩ですし、回避することにも全神経をとがらせる必要があります。
しかし、そんな累を瞬殺してしまいました。
炭治郎があれだけ苦労した十二鬼月をいともたやすく仕留めてしまうところに、多くの読者は度肝を抜かれたことでしょう。
炭治郎を救う。
弱い物や境遇が似ている物を思いやるやさしさ。
また、自身の熱い気持ちを時としてあらわにするところ。
時として、自身の命を懸ける気概。
おっとりしているようで、だれよりも感情豊かなところこそ、義勇の魅力であると思います。
炭治郎が鬼の妹に襲われていた時も、自身の持論を述べた後、炭治郎の意図を汲み、禰豆子が人間に戻るための望みかけることにしました。
産屋敷邸で炭治郎と禰豆子が審議に問われていた時も、自身の命を懸けてその命を救おうとしました。
兄弟子として、本気で困っている人に優しく出来る。
また、押しつけがましいやさしさではなく、本人が気にならない程度に優しくして、何事もなかったかのようにやり過ごすところもカッコいい部分です。
結局、強かったところもカッコいい所
作中序盤から終盤まで戦力として活躍していたところも、人気のポイントではないでしょうか。
水の呼吸に対しての考察
ブログ主が思うのは、水の呼吸の完成度です。
作品を繰り返し読んで、話の大筋ぐらいは語れるようになりました。
感じたことは、
水の呼吸は剣士を死なせないための呼吸ではないか
ということです。
他の呼吸に比べて突出した技がないです。
しかし、対応力があり、状況に応じ臨機応変に技を繰り出すことが出来ます。
技の中には攻撃をいなしたり、窮地に陥っても何とかごまかせたりする剣技も多く、
自身は致命傷を受けずに、敵を葬る
そこに、水の呼吸の真骨頂があるのではないかと考えます。
義勇自身は、その水の呼吸を極めました。
なおかつ新しい型まで生み出してしまいます。
「凪」は相手の攻撃を無力化する剣技で、まさしくあらゆる攻撃をいなし、受け流すことに長けた水の呼吸の本質をとらえた技ではないかと思っています。
そういった「生き残るための剣技」を極めたので、義勇が生き残ることも
「納得である」
と言えます。
実は、柱の中で不死川実弥とともに最後まで生き残った柱でもあります。
富岡義勇についてまとめ
ということで、富岡義勇についてまとめてみました。
実力、性格ともに素晴らしい領域に達した人物であり、柱と聴けばまず思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
一緒にいても疲れなさそうな、癒し系。
柱の中では嫌われている、
としのぶさんが言っていましたが、決してそんなことはないように思います。
言動がよくわからなく、不器用なこともあって、そういったことになっていたこともあります。
しかし、どことなく義勇の人の良さを理解している人は多いように感じます。
大なり小なり柱には義勇と似たような境遇の人も多いので、言葉にしなくとも分かる人はいるだろうと考えます。
ということで、ミステリアスな人がたまらない人にとって、最適解ともいえる富岡義勇について、鬼滅の刃を3回ほど読み返したブログ主が書いてみました。
楽しんで頂ければ、幸いです。
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