鋼の錬金術師において、物語のキーワードになっているのが真理の扉です。
真理の扉とは一体何なのか。
解説していきます。
話の内容。
- 真理の扉とは
- 開けるための条件
- 代償
- 得られるモノ
- ひとばしらとの関係性。
- 真理とは一体何なのか。
真理の扉とは一体何だったのか。
真理の扉とは人間の内に存在する扉で、開けることによってこの世の真理を見ることが出来ます。
見た目としてはただっぴろい真っ白い空間の中にデカい鉄の扉があり、対面する形で真理と呼ばれる顔のない人物がいます。
扉を開けると大きな目がこちらを見つめ、そこから真っ黒な手が伸び対象者を扉の向こう側につれていこうとします。
開けるための条件に付いて。
真理の扉を開けるためには人体錬成を行う必要があります。
例外を除いて真理の扉を開けている人物は
「自分にとってかけがえのない人物をよみがえらせるため」
行っているようで、作中においてはエルリック兄弟が母親を生き返らせるために、イズミが自身の子供を生き返らせるために人体錬成を行っていました。
この人体錬成は人類が超えてはいけない禁忌ともいえるわけですが、踏み込んでしまった結果。次の様な事が起こります。
真理の扉を開ける代償。
本人が最も必要としている体の部位が奪われます。
これは真理の扉を開けるための
「通行料」
と呼ばれるものです。
作中において奪われた人物たち
エドワードエルリック:自分で立ち上がるための足を奪われる
アルフォンス:人間の温もりを感じるための体を奪われる。
イズミ:子供を産めなくなります。
ロイマスタング:この国の未来を見通すための視力を奪われました。
メリット
その代わりに自身の体を循環器として錬成陣なしに錬成を行えるようになります。
それによって手を合わせるだけで地面を隆起させたり、あらゆるものを作り直すことが出来ます。
正直、割に合っていないような感じがします。
しかし、それに関しては作中で次のように語られています。
魂を取り戻すための代償として、そのお釣り分のリバウンドが返ってくる。
そもそもの話、人間を生き返らせることは基本的に不可能です。
なぜ不可能なのかと言えば、魂を錬成する必要があるからですね。
しかし、魂はとてつもない価値を持っているものであり、現世に存在するものでは代償を用意することが出来ません。だからこそ術師の体の一部分が持っていかれる。
これが人体錬成におけるリバウンドと言われるものです。
鋼の錬金術師を読んでいて、腕を持っていかれたり、身体ごと失ったりするのを見て
「明らかに割に合ってないだろ。」
と思う人も多いです。
しかし、改めて魂が持っている価値について考えれば、むしろ腕を持っていかれたり視力を奪われるぐらい易いものなのかもしれません。
それ程人間の魂というものは「替えが効かない」ものなのです。
作中に置ける人柱との関係性について。【神を手に入れる行為】
真理の扉を開けた錬金術師と人柱は大いに関係があったと言えます。
人柱とは何かと言えば、神を引きずり出すために必要な材料の一つであると言えます。
神を引きずり出す儀式について。
皆既日食が起きる日に、真理の扉をもった術師が決められた布陣で配置されたときに、神を引きずり出す儀式が可能になります。
この神の正体とは、真理の集合体であり、とてつもない程のエネルギーを有しています。
仮にこの力をコントロールできたのであれば、まさしく
「全知全能の神」
にすらなることが出来ます。
お父様はこの神を自らの物とすべく、真理の扉を開けた錬金術師5人を手に入れようとしていたわけです。
ちなみに、人柱の儀式で使われた錬金術師は別に死んだりしません。
人柱というぐらいだから、錬金術師は死ぬのかな。
と思いますが、別にこれといったことは代償はなくエドたちは全くの無事でした。
もっとも、真理の扉を開けた時点で十分すぎる代償は払っているわけですから、これに関してはあまり不自然ではないと思います。
結局のところ神を引きずり出すことはできたのか。
若干ネタバレになりますが、神を引きずり出すことはできたのか。
という話です。
それに関しては、
ほぼ完ぺきに出来た。
といえるのではないでしょうか。
それぞれ真理を見た錬金術師を集めて神を引きずり出しました。強大な力を手中にするためのエネルギーもありました。
これは、国民を賢者の石に変えることで可能にしていたのです。
強引に神を引きずり出し、みずからにとりこんだ結果、一時的にお父様は「神」に等しい力を手に入れたと言えます。
しかし、ホーエンハイムの画策によってアメストリスに張られていたら逆錬成陣が発動し、結果。
お父様の体内にあった賢者の石は再びアメストリス人に戻ります。
すると、お父様は神を操り切れなくなり、結果的に弱体化することになります。
真理とは何なのか?
作中において、たびたび出てくる言葉である真理、ですがこれは何なのか。実は作中で明確に記述されています。
真理とは、世界であり、宇宙であり、神であり、人であり、全てでありそして1である。
かなり難しく表現されていますが、要は世の中の仕組みそのものだということです。
目の前にある椅子が木で出来ており、その木は水や土をもとに作られています、その土や水でさえも構成物質があってそれをもとに作られている。
世の中とは、物質とは、人間とは、かけがえのない一つがお互いに干渉しあい、そして連なり、時に形を変えることによって出来上がるわけです。
そして、この原理を理解し。分解、再構築できるようになることが「良い錬金術師」としての大前提ともいえます。
では、扉の前に現れた「真理」は一体何なのか。
上で紹介した真理はあくまでも、この世の中の真理です。
重要なのは人それぞれの心の中にある真理の扉であり、その扉の前に立っている「真理」です。
いったい彼は何者なのか。
これに関して、このブログ主が推察するのは
「自身の欲望ではないか。」
ということです。
今一度、錬金術の基本について考え直してみましょう。
真理とは、世界であり、宇宙であり、神であり、人であり、全てでありそして1である。
僕たちが生きる世界とはつまるところはそれを構成するものによって作られているわけです。
そして、そこを理解することが真理であり、あらゆる錬金術の基盤ですね。
では、自分という存在を作っているのは何なのか?全であり1であるものは何なのか?
これが恐らく欲望なのではないかと思います。
欲望は生まれたての赤ちゃんでも持っているし、明日死ぬ老人でも持っています。
全であり1です。
これを読んでいる人も歩きたいと思うから、食べたいと思うから、生きたいと思うから人は一人の人間として形成されているのではないかと思います。
で
欲望=真理=全であり1である。
この等式が成立したと仮定して、扉の前に現れるのが自身を作り上げている欲望と考えればなんとなくつじつまが合っているような気がします。
そして、扉の前に自分の全てを作り上げた分身ともいえる欲望が真理として立ちはだかり、
「人間を生き返らせたい」
というあまりにも身の丈に合っていない欲望を持ったものに、罰として「通行料」を支払わせるのではないか。
と個人的には推測しています。
裏付け
欲望=真理
を裏付けるものとして、最終話でエドは真理に勝利しました。
この時にエドは錬金術をする上で絶対に欠かせない「真理の扉」を代価として真理に明け渡そうとします。
これによって、エドは錬金術も使えないただの人間になり下がることになります。それを見た真理は驚愕します。
「良いのか、それがなくても」
それに対してエドは
「錬金術がなくてもみんながいるって」
それを聴いた真理は、ニッ笑い
「お前は真理に勝った」
といいます。
このときの言葉が全てではないかと思います。
あらゆる欲望を叶えてくれる錬金術を自ら捨てて、かけがえのない物を手に入れようと決意したエドはつまるところ自らの欲望に打ち勝って現実と向き合うことを決めたと言えます。
そうしたものだけにしか得られないものがある。エドはこれ以上もなく便利な錬金術を代価に鋼の心を手に入れた、と言えるのです。
まあそういったこともあるので、
欲望=真理
ではないかと僕は考えています。ただこの作品の秀逸なところは最終的な答えを明確にしていないことであり、考え方は人それぞれ違うところにあるのでしょうか。
たぶん、5年後とかに読み返してみるとまた違った切り口で考えられるような気がします。
まとめ:真理とは
真理の扉:錬金術師にとってかけがえのない物
人体錬成:禁忌であり不可能なもの。
真理:あくまでもブログ主の考えだが、人間の欲望ではないか?
まあ、こんな感じです。
アニメ、漫画は面白いものですが、それ以上に考える機会を与えてくれます。
良い作品とは面白くて勉強をになるのです。そういった意味においてハガレンはすごく勉強になる名作です。
ぜひぜひ手に取ってみましょう。見て絶対に損をしない作品であると言えます。
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